【歌舞伎】15年ぶりの『團十郎』参加!尾上眞秀初舞台!歌舞伎座「團菊祭 五月大歌舞伎」を見に行こう|ちえの見どころ(2023年5月歌舞伎座)
ちえの見どころ:15年ぶりの『團十郎』参加と尾上眞秀の初舞台
来月の歌舞伎座は團菊祭ですねー
来月のみどころは。
なんといっても、尾上眞秀くんの初舞台ですよ。
菊之助の甥っ子。
というより、一般の人には、寺島しのぶの息子、って言った方が分かりやすいですかね。
尾上眞秀、初舞台
今まで本名の寺嶋眞秀で舞台に出ていたのが。
初代尾上眞秀として初舞台ですよ。
もう舞台には出ているのに、なんで初舞台なの?って思う人もあると思うのですが。
実はちえも、その辺がよくわかんないんですよねー。
初お目見えと初舞台の違い
大体、歌舞伎役者の息子って。
初お目見えと称して。
ちっちゃい時にだっこされて舞台に出て来るだけって時があるのです。
年齢によっては、手を引かれて出てきて、一言二言、セリフがあるって時もありますが。
それからはしばらくは本名で出て。
改めて歌舞伎役者としての名前をもらった時が。
歌舞伎役者としての初舞台ってことになる。
そういうことでないですかね。
推測ですけど。
歌舞伎の楽しみの一つは、役者の一生につきあえること
ちえが歌舞伎を見る楽しみの一つに。
この、役者の成長を。
肉体的にも役者としても。
同時代的に体感できるというのがあると思っているので。
こういう節目の舞台は見ておきたいと思っているんですよねー。
将来なにか大きな名跡を継いだ時に。
「こいつの初舞台みてるんだよ」
と自慢したいじゃないですか。
若い歌舞伎ファンに。
團十郎の名跡が團菊祭に帰ってきた!
あと、15年ぶりの團菊祭『團十郎』の参加。
数えてみたら、『團十郎』という名跡が、團菊祭に参加するのは実に15年ぶりなんです。
歌舞伎座建て替え前の、最後の團菊祭が2008年の5月。
2009年はおなごり興行で、團菊祭はお休み。
2010年から建て替えに入り。
2013年4月からのこけら落とし興行を目前にして、同年2月3日に十二代目團十郎死去!
あの時は正直、愕然としました。
歌舞伎座が建て替えで休場している間に。
ずいぶんと多くの大名跡が亡くなりましたから。
歌舞伎座の神様がいけにえを欲しているなんで、物騒な言い方もありましたが。
「まだ持っていくのか!」
というのが、その時ちえが思った感情です。
翌2014年5月から、團菊祭も再開しましたが。
当然のごとく、そこに團十郎の姿はなし。
「團十郎のいない團菊祭かぁ」
と、むなしく感じたのを覚えています。
最初の團菊祭は團十郎不在
もっとも。
團菊祭のスタートは團十郎不在だったんですけどね。
昭和11年に、九代目團十郎と五代目菊五郎を顕彰する目的で始まった團菊祭。
このとき、六代目菊五郎はいたけれど、團十郎の名跡は途絶えていた時期ですから。
ただ、現在の團菊祭は。
平成元年、十二代目團十郎襲名の4年後に復活させたものなので。
やっぱり團十郎と菊五郎がいての、團菊祭だと思うのですよ。
さて、昼夜どっちを見に行きますか
というわけで。
こういった要素を勘案すると。
まずは、来月は昼の部ですかね。
昼の部は、古・新・祝の見事な流れ
吉例にのっとり古式ゆかしい「寿曽我対面」で歌舞伎らしさを楽しみ。
大佛次郎作の新歌舞伎「若き日の信長」で、新・團十郎の若さを楽しみ。
「音菊眞秀若武者」で、尾上眞秀初舞台を祝う。
古・新・祝の見事な流れ。
全体が祝祭感に溢れいています。
夜の部は久しぶりの「達陀」に菊之助の「髪結新三」
と思っていたら、夜の部もいいんですよねー。
宮島のだんまりに始まり。
東大寺二月堂お水取りを題材にした「達陀」
「達陀」は歌舞伎を見始めた頃に一度見て。
それから奈良とか行きだしたんで。
僧侶たちが群衆で踊るシーンが記憶に残っていて。
もう一回見たいと思ってたんですよ。
最後は、菊之助の新三で「梅雨小袖昔八丈」!
これまたむかーし。
菊五郎の新三の時に、菊之助が勝奴をやってて。
菊之助の新三も、似あいそうだなと思っていたんですよ。
2018年に国立でやったのは、見たはずなんだけどあんまり覚えてないんで。
今回、リベンジのつもりで見たいなと思って。
こうなると、5月は昼夜両方かな
こうなると結論は。
2023年5月の歌舞伎座は、昼夜両方かな。
通しは体力的にきついんで。
別の日に取ることになるんだけど。
そうすると、今度は時間的にきつくなる。
ただ「達陀」とか、今見とかないと、次はいつー?って感じだし。
ちょっと来月はがんばりますか☆
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